社会福祉法人 調布市社会福祉事業団 なごみ そよかぜ すまいる まなびや ちょうふだぞう すこやか すてっぷ あゆみ


9月理事長便り
2015/9/1(火)

 今日から9月です。このところ本州付近は秋雨前線の影響で曇りや雨の日が続いている。先月、8月の東京の日照時間は月平均を下回り、8日頃から曇りや雨の日が多くなり、8日以降は、晴れて、日照時間が7時間を超えたのはわずか3日しかありません。特に16日以降の後半は35年ぶりに少ない日照時間となりました。8月の前半は全国的に信じられないほどの猛暑日が続き、東京では、さらりと猛暑日の連続記録を塗り替えるなど記録的な暑さが続きました。そしてまた、北海道でも猛暑が続き、8月5日、道東では37度を超え、今年一番の暑さになっていました。夏の避暑地として人気の札幌でも34.5度まで上がり、沖縄の那覇よりも暑いという逆転現象がありました。今年の夏(6月〜8月)の平均気温は、北ほど高く西ほど低い「北暑西冷」の傾向だったようです。処暑も、もう次候(8月28日〜9月1日頃)、「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」ようやく暑さが峠を越えて、後退し始める頃、これから涼しくなっていく時季です。このところ天気は安定していませんが、空を見上げると、秋の兆しが見え始めます。夏雲の入道雲が次第に姿を消し、やわらかい雲が刷毛で刷いたように「いわし雲」や「さば雲」、「うろこ雲」など秋の雲になって、空は少しずつ高く感じられるようになります。ふと気が付くと、心地よい風に揺られて奏でていた風鈴もいつしか軒下から外され、朝夕の涼気をひとしお強く意識して感じられ、セミの鳴き声もだいぶ減り夕方にはこおろぎなど虫の音なども聞こえ少しずつ秋の気配が感じることができます。
 8月26日(水)に、平成27年度第1四半期(4月〜6月)の業務執行状況について、事業報告書(案)、会計報告書(案)に基づき第2回監事監査が実施され、監事からご意見ご指導をいただきました。また、8月28日(金)には、平成27年度第3回事業団理事会、第2回評議員会が開催され事業団定款の変更(案)など審議事項5件、第1四半期の業務執行状況の報告事項1件のご審議をいただき、何れもご同意をいただきました。
 平成27年度第1四半期は、各事業とも概ね事業計画に沿って順調に推移いたしました。特徴的なこととしては、4月1日より調布市から受託した学童クラブ(4学童クラブ)、放課後子供教室事業ユーフォー(5ユーフォー)の運営を開始いたしました。児童福祉法の改正により4月から利用対象者が「小学校に就学しているおおむね10歳未満の児童」から「小学校に就学している児童」となりました。「子ども・子育て支援新制度」がスタートしたことにより、対象学年や学校休業日の受け入れ時間が拡大。学童クラブ事業においては、昨年度までは対象学年が1年生から3年生であったが6年生までに拡充され、開設時間も学校が休校する土曜日・三季(春・夏・冬)休業日や振替休日は午前8時30分から午後7時までであったが、午前8時から午後7時までと午前の開始を早めて実施しました。一方、ユーフォー事業については、土曜日と三季休業日も全日開設し、学校休業日の開設時間は午後1時から午後5時まででしたが、午前8時から午後5時までに拡がり、お弁当の持参が可能となりました。保護者にとっては安心して子どもを通わせることができ、以前と比較して一日ユーフォーで過ごす児童が増えています。それぞれ二つの事業は事業団として初めての取組みです、職員が入れ替わり子どもたちが環境の変化に戸惑うことが無いよう、笑顔で元気に楽しく安心して施設を利用できるよう取り組んでいます。当初は不慣れなことからご迷惑をおかけした部分もありましたが、大きな混乱もなく順調に事業が進んでいます。
 今年の夏の甲子園は高校野球100年の記念の年、熱戦が続き私たちを熱中させてくれました。決勝進出を果たした宮城県代表の仙台育英、東北に初の大優勝旗をとの願いは届きませんでしたが、神奈川県代表の東海大相模との決勝戦は、両校とも連戦の疲れも見せずによく健闘し手に汗を握る素晴らしい試合でした。その仙台育英と3回戦で戦って敗れた岩手県代表の花巻東も東日本大震災で大きな被害を受けた被災地の皆さんからも「よく頑張った」と惜しみない拍手が送られました。花巻東は、岩手大会決勝で一関学院に延長13回の末、9対8で2年ぶり8度目の夏の甲子園出場の切符を掴みました。試合は両チーム合わせて34本のヒットが飛び交う約3時間半に及ぶ熱戦でした。その決勝戦で3安打を放って活躍した花巻東・千田恭平外野手は、地元岩手県の赤崎中学出身ですが、以前は陸前高田市の第一中学に通っており、中学一年のときに東日本大震災を経験しました。父親は千田選手が生まれてすぐに亡くなっており、家計を支えていたのは母親・博美さんでした。食品加工会社で働きながら女手一つで育ててくれたかけがえのない母でしたが,勤務先で津波に押し流され数か月後遺体で発見されました。震災後は大船渡市内の親類宅に身を寄せ、岐路を迎えました。高校進学で迷った時に思い出したのが母親の思いでした。かつて母は「甲子園に応援に行きたい」と話していました。母の願いをかなえるため、甲子園への一番近道として選んだのが強豪・花巻東でした。たくさんの特待生にまじりレギュラーを勝ち取ることは並大抵の努力では不可能なことだとわかっていても、敢えて一般入学で野球部の門をたたき、レギュラーの座をつかもうと厳しい練習に打ち込み、得意の打撃に磨きをかけました。見事レギュラーをつかんだ練習はうそをつかなかったと彼は言う。こうして、母の夢をかなえた彼は、写真の母に向かって笑顔で「お母さん行ってくるよ」、きっと母も見守ってくれたと思う。「お母さん、約束通り、連れていくよ」もう一つの被災地の思いを背負って甲子園の土を踏み、「母さんここが甲子園だ」と開会式で花巻東のナインと一緒に胸を張って行進しました。甲子園の初戦で対戦した千葉県代表専大松戸のエースで4番の原嵩投手も母親・昭子さんを昨年7月にがんで亡くしています。闘病中の母親は見舞いに来る原投手に向かって、私の事はいいから甲子園に行けるように野球に集中してと繰り返し伝えたそうです。原選手は甲子園を決めた千葉県の決勝戦で満塁でのランニングホームランを放っていました。そのホームランボールを母のもとに置いて、手を合わせ母に誓った悲願の甲子園出場を報告しました。亡き母との約束を果たした二人の選手が初戦で・・・、何かのめぐり合わせかもしれません二人の健闘に拍手です。
                             理事長 中根義雄




 
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